野上
日方 1993.3.23
まるでタイムマシーンに乗ったような野上電気鉄道でしたが、
結局1994年3月末日に廃止となりました。
しかもただの廃止ではなく会社ごとの消滅です。
つまりもう野上という社名はありません。
一度は廃止を決意した会社でしたが奇跡的に生き残り、
国や自治体から欠損を穴埋めしてもらう形で
1994年まで過ごしてきました。
しかし同じ和歌山県下の私鉄でも、
親会社が大会社でもバス部門で頑張っているわけでもなく、
活気があまり無いように思われました。
設備の近代化自体も補助金を当てにしている状態で、
廃止時にも線路際に補助金で取り替える予定だった
コンクリート製の架線柱が転がっていたと聞きます。
また合理化も遅れていて、ワンマン化も遂に行われませんでした。
労使間で相当の争いがあったようで、1991年に訪問したときには、
検車区構内の立ち入りも声を掛けさえすれば良かったのですが、
末期には構内車内撮影厳禁で電車から前面展望を楽しもうとしても、
運転士がわざと邪魔をするといった事もあったそうです。
一部にはマナーの悪いファンのいたでしょうし、
会社の存廃問題でピリピリしていたのは判りますが、
この頃の従業員の態度も接客業としては赤点ものだったと思いました。
結局、野上は最後まで古い時代の私鉄を残したまま消えていきました。
現在は少なくとも、日方駅付近は往年の雰囲気はありません。
日方駅に隣接していたJR海南駅は高架されて近代的になりました。
まるで止まっていた時間をようやく進めて、
今と云う時代に急いで追いつこうとしているかのようです。
もしかして私の接した90年代の野上は幻だったのでは無いでしょうか・・・。
野上 日方 1993.3.23
作成:1998年8月